住田由之輔(すみだ よしのすけ)を紹介します

住田由之輔(すみだ よしのすけ)を紹介します

PDFファイルはこちら 1面はこちら 23面(共通)

石見銀山銀積出港温泉津で産声

 高校を卒業するまで港で、海で一日中遊びました。写真は銀積出港「沖泊」、船を係累するための石柱の横で20歳のころ。石見銀山から20Kmの山道をここまで、背負いこで担ぎ銀が連ばれました。岩を砕いた石柱や道路は昔のまま、そこも遊び場でした。

神戸大学夜間部へ

 高校卒業後父親と一緒に大阪へ出てきました。三畳一間のアパートが「都会」での出発でした。ガソリンスタンドに勤めながら、夕方早退して学校通い。経営者が教育を重んじていて同じ夜学生が4人いました。それでも空腹と疲れを抱えながら通い続けた数年はつらさもありましたが、青春の一ページです。

シナリオ学校でも学習

 大学を中退するころ学び始めたのが映画のシナリオ創作。映画館通いもしました。山内久、山田洋次、桂枝雀さんの話を聞けたこと、新藤兼人のシナリオを学習したこと、何よりもシナリオ創作は、真実を見つけ出す作業であり、社会へ目を向けるきっかけになりました。
 それから数十年後、「真実を見つけ訴える」議員活動に大変生きていることは人生の不思議さを感じます。

沖縄海洋博工事で10ヶ月間働きました

 自分で志願して海洋博造園工事に参加。沖縄が本土復帰してすぐの時代です。工事期間中は樹木探しで沖縄本島各地を回り、開発による赤土の流出、米軍基地の大きさを目の当たりにしました。工事の合間を縫って8ミリカメラで収めた沖縄、最初で唯一私の「ドキュメント映画」です。

 写真は沖縄伊江島に住む反戦地主、阿波根しょうこうさんと、自宅前に展示されていた、アメリカ軍模擬爆弾に囲まれて30歳のころ。

阪神淡路大震災が

 議員になって3ヶ月目に起きました。とにかく水とトイレそして食べ物と寝るところ.被災者の要求を聞きまわり、解決に走り回りました。崩れた屋根にも上り、ブルーシートをかける手伝いもしました。必死の作業です。国会へも「銀行救うより被災者を救え」と請願に行きました。
 それが私、住田の議員活動の原点です。15年前のこの貴重な体験が私の活動を常に支えています。

 写真はボランティアでお風呂のお湯を炊き出す住民との懇談場面、47歳の時。

profile

 1947年4月2日、(旧)邇摩郡温泉津(ゆのつ)町生まれ。大田高校卒、神戸大学経済学部第2課程中退。川西共同保育所運営委員、川西小学校・明峰高校PTA会長。1994年川西市議会選挙初当選以降4期目。現在建設常任委員会、まちづくり調査特別委員会、広報委員会、都市計画審議会所属。

住田さんのここに期待 声 声 声

原田敬子 久代在住
田中寛胤 南花屋敷在住一
磯 武夫 元市議・小戸在住
鳥飼国治 元市議・栄根在住
稲生孝雄 党川西南部後援会会長・小戸在住
辰巳房子 川西民主商工会副会長・加茂在住

早朝駅頭宣伝16年継続

 住田さんは毎週、JR川西池田、北伊丹、阪急能勢口、雲雀が丘駅などで市政報告ビラ「由さんのくらしの便り」を配付、宣伝活動を16年間続けて256号になります。議員の仕事の一つが市民への情報提供であり.こつこつと実践している姿に周囲もはげまされます。

市政報告・毎議会ごとに

 住田さんは議会の状況、市政の問題点など報告するだけでなく、集まっていただいた住民と意見交換。出された要望はすぐに市当局に伝え、実現のために力を尽くしています。また毎週木曜日に「相談会」を開き、生活相談、地域改善要望などお聞きする活動をおこなっているのも地域住民にとって大変たよりになります。

すべての議会で質問

 16年間すべての定例議会で一般質問・総括質問を行ってきた住田さん。一期目の阪神淡路大震災被災者の生活再建要求をはじめ、信号機の設置や中央北地区まちづくり、財政問題などはばひろく質問。「市民のくらしを守る」が住田さんの信念。さらに市民のために力を尽くしてくれるよう期待します。

この記事にキーワードはありません。